第10回:労働が無味乾燥にならないために
~「労働の疎外」を防ぎ、人間らしい働き方を守る~
目次
前回の振り返り:計画能力と「誰のために」
前回は、人間だけが持つ「計画能力」について学びました。
人間は未来を先取りし、まだ存在しないものを頭の中に描いて計画を立てることができます。この能力があるからこそ、人々は協力して働くことができ、「誰のために」働くかを考えることで、働きがいを感じることができるのでした。
そして、「誰のために」を学ぶことが評価能力を高め、生きがい・働きがいにつながることを確認しました。
今回は、その対極にある問題、「労働の疎外」について深く考えていきたいと思います。
ある工場での出来事から考える
まず、わかりやすい例から始めましょう。
【例1:町の家具職人・田中さんの場合】
田中さんは、地元で30年間、家具職人として働いてきました。
お客様の家を訪問し、部屋の広さや雰囲気を見て、「こんな本棚はどうですか?」と提案します。お客様と相談しながら設計図を描き、木材を選び、自分の手で一つひとつ丁寧に作り上げます。
完成した本棚を届けると、お客様は目を輝かせて言います: 「わぁ、素晴らしい!まさに私が欲しかったものです。ありがとうございます!」
田中さんは、疲れも吹き飛ぶような満足感を感じます。自分の技術が誰かの役に立ち、喜んでもらえる。これこそが働く喜びでした。
【例2:大型家具工場の佐藤さんの場合】
佐藤さんは、大型家具工場のライン作業員です。
毎日、ベルトコンベアから流れてくる同じ部品に、決められた通りにネジを3本打ち込みます。1分間に5個。8時間で2,400個。毎日、同じ作業の繰り返しです。
佐藤さんは知りません
• この部品が何の家具のどの部分なのか
• 完成した家具がどんな形なのか
• 誰がどこで使うのか
• お客様が喜んでいるのか、困っているのか
ただひたすら、ネジを打ち続けるだけ。
ある日、佐藤さんはふと思いました。「俺は一体、何のために働いているんだろう…」
「労働の疎外」とは何か
二宮先生は、このような状態を「労働の疎外」と呼びました。
労働疎外の定義
疎外とは、もともと「自分にとってよそよそしいものになること」を意味します。
二宮先生によれば、労働疎外とは
1. 労働者が労働を通じて何かを生産する
2. その生産物が労働者の手から切り離される
3. 自分の作った生産物によって逆に支配されてしまう
この三段階のプロセスを指します。
もっとわかりやすく言うと
• 自分が作ったものなのに、「自分のもの」という実感がない
• 自分の仕事の成果が見えない
• 働いても働いても、達成感や充実感がない
• 「ただ虚しく自分を消耗している」という感じ
これが労働疎外の本質です。
身近な例で考える労働疎外
【例3:コールセンターの山田さん】
山田さんは、大手通販会社のコールセンターで働いています。
1日に100件以上の電話に対応します。マニュアル通りに話し、平均通話時間は3分以内、1時間に20件以上処理することが求められています。
お客様の声:「この商品、本当に助かりました!ありがとう!」
でも山田さんは、その商品が何なのか、どう役立ったのか、詳しく聞く時間がありません。次の電話が待っているからです。
管理者からは「通話時間が長い」「処理件数が足りない」と注意されます。
山田さんは思います: 「私は人間じゃなくて、電話を処理する機械なのかな…」
シモーヌ・ヴェーユの衝撃的な体験
1930年代のフランスで、哲学者シモーヌ・ヴェーユは、働く人々を理解するために、自ら工場労働者として働きました。
その体験は、彼女に深い衝撃を与えました。
ヴェーユが見た工場の現実
二宮先生は、ヴェーユの言葉を紹介しています。
「労働者は工場の中で、何物も思考によって所有することができない。労働者はある部品とその前に来た部品、あるいはその次に来るであろう部品との関係を知らない。労働者は彼の生産している物を知らない。従って自分が生産したという感情を持たず、ただ虚しく自分を消耗したという感じを持っている。」
「スピードと命令」による隷属
ヴェーユが体験した工場労働は、「スピードと命令」の二つが作り出す隷属状態でした。
• 時間は数秒単位に縮小される
• 今やっている動作だけに注意を集中しなければならない
• 考える暇すら与えられない
• 「考えることを放棄したい」と思うほどの苛酷さ
ヴェーユは、この体験を通じて、こう指摘しました。
「そこでは、協力も理解も仕事の中での相互評価も、すべて上位階級の独占である。労働者の水準では、いろいろの職やいろいろの機能の間につくられる関係は、物質相互間の関係であって人間の間の関係ではない。」
つまり、人と人との関係が、モノとモノとの関係に置き換えられてしまったのです。
なぜ労働が「屈辱的」になるのか
旋盤工を営む作家・小関智弘さんは、こう表現しています。
「ものを作る人間が、その品物が、どんなところで、どんな目的で、どんな役に立っているのかを知らないで労働しているということは、人間として、ほとんど侮辱されているようなものではないのか。」
Plan(計画)からFollow(追跡)まで
二宮先生は、労働過程を5段階に分けて説明しています。
1. Plan(構想・計画):何をどう作るか考える
2. Do(実行・遂行):実際に作業する
3. See(監視・確認):進捗を確認する
4. Check(点検・評価):品質を評価する
5. Follow(追究・追跡):どう役立ったか追跡する
小関さんが指摘しているのは、第1段階の計画と第5段階の追跡から切り離されて、第2段階の実行だけをやらされる労働は、人間の人間らしい労働とは言えないということです。
現代版の労働疎外の具体例
【例4:清掃スタッフの鈴木さん】
鈴木さんは、大型商業施設の清掃スタッフです。
毎日、決められたエリアを決められた時間内に清掃します。チェックリストに従って作業し、上司に報告します。
でも誰も言いません
• 「あなたの清掃のおかげで、お客様が快適に過ごせています」
• 「あなたの仕事が感染症予防に貢献しています」
• 「建物の価値を守る大切な仕事です」
鈴木さんには見えません
• 自分の清掃を見て安心するお客様の顔
• きれいになった施設で笑顔で過ごす家族
• 自分の仕事の社会的意義
ただチェックリストをこなすだけの毎日。これでは働きがいは生まれません。
【例5:データ入力担当の高橋さん】
高橋さんは、保険会社のデータ入力担当です。
毎日、大量の申込書をシステムに入力します。正確性とスピードが求められます。入力ミスがあれば叱られます。
でも高橋さんは知りません
• この申込書がどんな人の、どんな保険なのか
• その人がどんな思いで加入したのか
• 自分の入力したデータが、どう人の役に立っているのか
「私は人間じゃなくて、データ入力マシンなのかな…」
労働疎外が奪うもの
労働疎外は、働く人から多くの大切なものを奪います。
1. 働く喜びを奪う
ヴェーユの言葉: 「自尊心の満足に対する渇望の最も少ない人間でも、彼がした事だけに興味が持たれ、それをなし遂げるために努力したその方法には決して興味が持たれないといわれているところでは、自分があまりにも孤独だと感ずる。そこでは労働の喜びははかない、すぐに生まれるとすぐに消える印象のようなものになってしまうのである。」
結果だけを評価され、過程や工夫を見てもらえない。これでは働く喜びは生まれません。
2. 人と人とのつながりを断つ
労働疎外は、職場での豊かな共感・応答関係も破壊します。
前回学んだ「居がい」(共感・応答関係に包まれた存在感)が失われ、一人ひとりが孤立してしまうのです。
3. 学びと成長の機会を奪う
「何を作っているか」「誰のために作っているか」「どう役立っているか」
これらを知る機会がなければ、評価能力を高めることもできません。学びの機会が奪われるのです。
4. 自己実現の場を失う
二宮先生はこう指摘します。
「『結果の精神的先取り』が働く者から奪われ、切り離されてしまうと、自己実現のはずがその逆の自己疎外の場に転化してしまう。」
働くことが、自分を実現する場ではなく、自分を消耗するだけの場になってしまうのです。
現代社会での新たな疎外形態
二宮先生は、現代社会での疎外について、さらに深い分析をしています。
「いま・ここ主義」の危険性
前頭葉(未来を先取りする脳の部分)の働きが阻害されると、人間は「精神的その日暮らし」の状態になります。
• 未来への希望を描けなくなる
• 将来への夢を持てなくなる
• その瞬間だけに生きる状態になる
• 前向きに生きていく姿勢を失う
評論家の加藤周一さんは、これを「いま・ここ主義」と呼びました。
「指示待ち人間」の誕生
目的が他人によって一方的に決められ続けると、人は自分で考えることをやめてしまいます。
• 「何をすればいいですか?」と常に聞く
• 自分では何も決められない
• 創意工夫をしなくなる
• ただ命令を待つだけ
これも労働疎外の一形態です。
「適応能力第一主義」の問題
二宮先生は、中野孝次さんの警告を引用しています。
「自分で積極的に生きようとしない者は、たえず外部から与えられた刺激に反応するだけの生き方をすることになる。現代の危険とは、君が知らず知らずに外界(他人)の手にからめとられ、からめとられたことさえ意識せずにそれに慣れ、隷属し、自分の真の要求を見失ってしまうこと以外にない。」
外部の要求に適応することだけが得意になり、自分の内なる声を聞けなくなる。これも深刻な疎外状態です。
中小企業が労働疎外を防ぐ5つの方法
では、中小企業の経営者として、どうすれば労働疎外を防ぎ、人間らしい働き方を守ることができるのでしょうか。
方法1:Plan(計画)を共有する
実践案:仕事の「設計図」を一緒に描く
上司だけが計画を立て、部下は実行するだけ、という関係を変えてみてはいかがでしょうか。
【製造業の例】
• 新製品開発の初期段階から現場の声を聞く
• 「こんな製品を作りたい」というビジョンを全員で共有する
• 各工程の担当者が「なぜこの工程が必要か」を理解する
• 改善提案を積極的に取り入れる
【サービス業の例】
• 新サービスの企画段階からスタッフを巻き込む
• 「お客様にどう喜んでいただくか」を一緒に考える
• 実際の接客での気づきを次の企画に活かす
方法2:Follow(追跡)の機会を作る
実践案:「ありがとう」が見える仕組み
自分の仕事がどう役立ったかを知る機会を作ってはいかがでしょうか。
【製造業の例】
• お客様からの感謝の手紙を全員で回覧
• 年に1回、自社製品が使われている現場を見学
• 「この部品のおかげで助かった」という声を共有
• 製品が社会でどう役立っているかの勉強会
【サービス業の例】
• お客様アンケートの良いコメントを朝礼で紹介
• 「今月の感動エピソード」を共有する時間
• お客様感謝祭でスタッフが直接お礼を聞く機会
【事務職の例】
• データ入力の先にいる「人」の物語を知る
• 自分の作った資料がどう使われたかのフィードバック
• 業務の最終的な目的と社会的意義の共有
方法3:仕事の「全体像」を見せる
実践案:「つながり」を可視化する
自分の仕事が全体のどこに位置するか、どう他の人とつながっているかを見えるようにしてはいかがでしょうか。
【工場の例】
• 製品の製造工程全体を図にして掲示
• 各工程の担当者の写真と名前を添える
• 「あなたの工程が全体のここを支えています」と明示
• 定期的に他の工程を見学する機会
【オフィスの例】
• 業務フロー全体を可視化
• 各部署の仕事のつながりを図解
• 「この書類が誰の何のために使われるか」を明示
方法4:「人と人」の関係を取り戻す
実践案:「モノ」ではなく「人」として向き合う
ヴェーユが指摘した「物質相互間の関係」を「人間の間の関係」に戻してはいかがでしょうか。
【日常の実践】
• 朝の挨拶で一言、声をかける
• 「ありがとう」「助かったよ」を言葉にする
• 仕事の結果だけでなく、過程や工夫を認める
• 月1回、仕事の工夫や苦労を共有する時間
【チーム作りの実践】
• 少人数のチームで協力して課題に取り組む
• お互いの仕事を教え合う「共育」の時間
• 困ったときに助け合える関係づくり
• 成功を共に喜び、失敗から共に学ぶ文化
方法5:「学び」の機会を提供する
実践案:「なぜ」「何のために」を学ぶ場
評価能力を高める学習の機会を作ってはいかがでしょうか。
【社会的意義を学ぶ】
• 自社の製品・サービスが社会でどう役立っているか
• 業界全体の中での自社の位置づけと役割
• 自分たちの仕事の歴史的・文化的意義
【技術と知識を学ぶ】
• なぜこの方法で作業するのか(科学的根拠)
• より良い方法はないか(改善の視点)
• 他社の事例から学ぶ(ベンチマーク)
【人間としての成長を学ぶ】
• 働くことの意味(哲学的視点)
• 職業倫理と誇り
• 後輩を育てる喜び
中小企業だからこそできる「人間らしい労働」の実現
大企業では難しくても、中小企業だからこそできることがあります。
中小企業の強み
1. 経営者と社員の距離が近い
o 一人ひとりの顔と名前が分かる
o 直接対話ができる
o 個人的な関係が築ける
2. 仕事の全体が見えやすい
o 製品の最初から最後まで追える
o お客様との距離が近い
o 成果が目に見えやすい
3. 柔軟な組織運営
o 意思決定が早い
o 個人の提案を取り入れやすい
o 試行錯誤しやすい
ある中小企業の成功例
印刷会社・A社の取り組み
A社は、従業員20名の印刷会社です。以前は、オペレーターが機械的に印刷するだけの職場でした。
社長は、労働疎外を防ぐために、以下の取り組みを始めました。
①企画段階からの参加 顧客との打ち合わせに、実際に印刷するスタッフも同席させる
②完成品の追跡 印刷物が実際にどう使われたかの写真や感想を共有
③感謝の見える化 「今月のありがとう」コーナーで顧客の声を掲示
④技術勉強会 「なぜこの紙を選ぶのか」「色の心理効果」などを学ぶ
⑤相互評価の文化 お互いの工夫や努力を認め合う時間
結果、スタッフの顔つきが変わり、離職率が大幅に下がり、品質も向上しました。
何より、「ここで働けて良かった」という声が聞かれるようになったのです。
まとめ:人間らしい働き方を守るために
今回学んだことを整理してみましょう。
労働疎外とは
1. 自分の作ったものが「自分のもの」という実感がない
2. 仕事の目的や意義が見えない
3. Plan(計画)とFollow(追跡)から切り離される
4. 人と人との関係がモノとモノの関係に置き換わる
5. 働く喜び、つながり、学び、自己実現の機会を失う
労働疎外を防ぐ5つの方法
1. Plan(計画)を共有する:設計図を一緒に描く
2. Follow(追跡)の機会を作る:「ありがとう」が見える仕組み
3. 仕事の全体像を見せる:つながりを可視化する
4. 人と人の関係を取り戻す:モノではなく人として向き合う
5. 学びの機会を提供する:「なぜ」「何のために」を学ぶ
二宮先生とヴェーユが教えてくれること
労働が無味乾燥なものになるのは、働く人のせいではありません。労働のあり方、組織の仕組みに問題があるのです。
そして、その問題は解決できます。
特に中小企業には、大企業にはない柔軟性と人間的な距離感があります。この強みを活かして、一人ひとりが人間として尊重され、自分の仕事に誇りを持ち、共に学び成長できる職場を作ることができるのです。
労働が無味乾燥にならないために
最も大切なのは
• 計画に参加できること
• 成果を知ることができること
• 全体の中での自分の位置が分かること
• 人として認められること
• 学び続けることができること
これらを保障することで、労働疎外を防ぎ、人間らしい働き方を実現できるのです。
次回予告
次回は、「精神労働と肉体労働」の違いについて学んでいきます。二宮先生の理論から、この二つの労働はどう違うのか、そしてなぜ両者を統一的に理解することが大切なのかを探ります。
社員の皆さんが心から「この会社で働けて良かった」と感じられる経営を目指して、ぜひ次回もお読みください!
監修者

宮澤 博
税理士・行政書士
税理士法人共同会計社 代表社員税理士
行政書士法人リーガルイースト 代表社員行政書士
長野県出身。お客様のご相談に乗って36年余り。法人や個人を問わず、ご相談には親身に寄り添い、 お客様の人生の将来を見据えた最適な解決策をご提案してきました。長年積み重ねてきた経験とノウハウを活かした手法は、 他に類例のないものと他士業からも一目置くほど。皆様が安心して暮らせるようお役に立ちます。
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